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2015年1月24日、私の誕生日なのですが、(^O^)/
伊豆の国市韮山で行われた「シンポジウム韮山城を考える」へ行ってきました。
伊豆の国市では、韮山城址百年の計というテーマを掲げて国指定を目指してます。
あれだけの城郭が指定を受けてないのが不思議なくらい。

今回のシンポジウムは、講演とバレルディスカッションの二部構成。
最初の基調講演は、「伊豆の国市歴史文化基本構想と韮山城址の史跡指定」について学習院大学教授の家永先生が報告。
伊豆の国市には、沢山の史跡とイチゴ狩りみかん狩り、そして温泉まで楽しめる場所。まさしくカルチャーツーリズム!
この言葉が印象的でしたね。他にも沢山話されましたが割愛。

講演1として韮山城の発掘に長年関わってきた望月先生。このかた高等学校の副校長なんですね。趣味が発掘?
韮山高校での発掘では石敷の道や大量のかわらけが出たとのこと!と言うことは、あの辺りに伊勢宗瑞の館が有ったのか?
かわらけが大量に見つかるってことは、宴会が近くで行われたって事ですしね。

講演2は、東北学院大講師の竹井先生が古文書資料から探る天正18年の韮山攻防戦をテーマに話されました。
意外と韮山城に関する古文書は沢山残ってるんですね。
古文書や毛利家に残る陣城の図面などで、どのような戦いが有ったか解明せれてます。
どの豊臣方大名がどこに付け城造ったか、そして何処に陣を置いたか、平地に長い堀を造り蟻一匹韮山城から出れないようしたのか、どんな合戦が行われたか!秀吉は、金堀衆まで韮山に送った事がわかってるので本気で攻めたんですね。
まだまだ色々話されましたが、一番印象に残った言葉は、「韮山城は、戦国時代の始まりと終わりを伝える貴重な城」であり攻防戦が行われた日本各地の城の中で付け城から本城、出城まで破壊される事無く残ってるのは韮山だけということ。これはかなり貴重な城郭群です。

講演3は、私の尊敬する齋藤慎一先生。(江戸博学芸員)
城好きの方なら知らない人はいない有名人です。
テーマは、「韮山城はどんな城か」
韮山城がある場所の重要性。なんか地図見ると中途半端な場所に有るのに秀吉軍は何故四万の兵で攻めてのか?私にとっては謎だったんです。
道有るところに城ある!
齋藤さんは、韮山から熱海に抜けて小田原へ行く道が北条に取っての重要な街道だったと言われてます。
この韮山には、頼朝も居たし、堀越公方も館を構えてた。そして熱海には、伊豆山神社も有るわけです。歴史的にみても韮山を通る道が昔から重要で有ったことは間違い無いですね。
北条氏康の時代、足柄峠は止道になっていた。東海道だってまともに整備されたのは天正15年頃、西方への防備と韮山への後詰めを考えての事でしょう。
天正18年の古文書に駿河から小田原への道として「箱根口、川村口、片浦口」の三口が書かれてるとのこと。箱根口は山中城を通る東海道、川村口は足柄峠、片浦口は韮山から熱海を抜ける道です。この話は一番印象に残りましたね~。フムフム。
そして秀吉は箱根口から軍勢を小田原へ向かわした訳です。
話それますが、齋藤さんが今回作ったパワーポイントは凝ってましたね~。かなりの気合いを感じました。(^O^)/
あと齋藤さんが話された韮山城の大手はどちらを向いてたか?齋藤さんらしい提議ですね。早雲の時代は今川方に向け、氏綱の時代は小田原に向ける。氏綱の時代になると本城が小田原になるからですね。そして韮山城は境目の城として機能していくのです。さすが齋藤さん!視点が違います。
齋藤さんには頑張って頂き、出来るだけ早く韮山城群を国指定にして頂ければと思います。
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